対話実践としての当事者研究:創案者 向谷地良さんと対話する会

対話実践としての当事者研究を創案した、「社会福祉法人浦河べてるの家理事長 向谷地 生良さんと対話する会」に参加。

当事者研究というと熊谷晋一郎さんのお名前をすぐに思い出すのですが、
以前、熊谷さんの対談本を読んだ際には、
立場を変えれば、同じ物事が全く違ってみえることが非常に具体的に分かり、
物事をときに俯瞰してみる必要があることを実感。

様々な立場の当事者になってみることを大切にする当事者研究にそのときから関心がありましたが、
今回創案者がいらっしゃるということで非常に楽しみに伺いました。

(※当事者研究とは→

https://toukennet.jp/?page_id=56 

◆前半は、べてるの家のメンバー職員の方との対話も交えながらの講演でした。

日本では、国民主権の言葉があるように、私たちは日本という社会の当事者・主権者であるが、歴史を振り返れば、私たちが主人公であるという発想を手に入れたのは最近のこと。使いこなせていない現実を痛感する。

そのひとつの象徴が、向谷地さんも勤務歴がある、精神病棟。
人として持っている権利や役割(生きること、暮らすこと)を根こそぎ解除されており、一種の治外法権であり大きな制約が課せられている。
こうした課題に向き合ってきたことが、当事者研究に繋がったそうです。

誰一人として充分ではなく、お互いに助けあわないといけない。
知恵をだしあえば、それまでなかった新しい発想がうまれる。
それが当事者研究であり、誰もが自分の当事者である。

上野千鶴子さんが向谷地さんの活動にいち早く注目。

その後、重度の脳性麻痺を持ち、食べる・寝る・学ぶ・遊ぶ、全てについて人の介助が必要なハンデを持つものの
東大医学部に現役合格した、熊谷晋一郎さんが、上野さんより当事者研究を勧められ、自身の生きた経験を経験者のまなざしで俯瞰的にみたり、学術的知見を研究者として発信。
東大には研究のハブができ、今では世界中で当事者研究が展開されているそうです。

◆その後、参加者全員が隣に座る方と10分間の対話の時間がありました。

対話を経た休憩時間では、会場内で様々なコミュニケーションがうまれており、場が活性化していることを実感。

また、この間、質問がある方は、黒板に書き出してゆき、向谷地先生とメンバー職員の方が後半の時間に回答してくださいましたが、
どの回答も、あたたかく、腑に落ちる言葉で語ってくださいました。

備忘かね、書き留めておきたいのは、

○向谷地さんが精神病棟での勤務時、不安や眠れないなどの事態に対し薬が処方される現実に対し、生々しい想いを無視せず、想いを分かち合い悩むことのほうが大事であると、5年間社会実験をした結果、追い出されたそうです。しかし、追い出されたこともひとつの発見であったと。

○統合失調症学会が学術書をだしているが、そのなかで当事者研究は、今の時代の最先端のアプローチであり、学術的観点からも必要とされている。

いまは、刑務所、少年院、医療観察病棟などでも当事者研究が実践されており、時代が変わった。

精神病棟でも、今までの第一支援は薬であったが、世界の流れは対話実践や認知行動療法になっている(必要に応じて薬が処方されるが、薬を希望しない人は認知行動療法などで対応)。
対話的アプロ-チが最先端であり、病院も関心を持っている時代。
決して薬を否定する訳ではないが、身体に与える負担も判明してきており、できれば薬に頼らず回復することが望ましいというのが、どの領域においても共通認識になってきている。

○ひきこもりに対する当事者研究のアプローチは、ひきこもらないアプローチではなく、ずっと家にいてひきこもるとどんないいいことがあるかというアプローチ。
当事者から表面的なものではなく深いところにある事情を聞き、それを否定せず、ともに試行錯誤しその人の感性・感覚を一緒に分かち合う経験を経て、外にでれるようになった方々もいた。

◆最後に、当事者研究とは、自分事にしていく問いの立て方をするそうです。

例えば、「○○さんが慌てているからなんとかしよう」ではなく、
「○○さんが慌てると、自分も慌てるからなんとかしよう」と、他人事を自分事、皆の問いにし、たち位置を変えてみる。

誰か特別なひとだけ当事者研究の手法を使い物事を解決するのではなく
誰もがそうした視点を一旦もちあわせることを意識にいれ、
様々な立場から当事者意識をもち、物事をみつめられれば
よりよいコミュニケーションがとりながら合意点を模索できるのではという可能性について
考えさせられた時間でした。

昭島でこのような場を設けてくださった「こころの表現工房」さんにはどうもありがとうございました。