「長野県・池田町 竹内延彦教育長と話そう 「子どもがまんなか」の公教育をどうつくる?」を聴講しました

「多様な学びプロジェクト」主催、

「長野県・池田町 竹内延彦教育長と話そう 子どもがまんなか」の公教育をどうつくる?」のアーカイブ配信を聴講しました。
東京都では、こども基本条例が制定されましたが、
東京都こども基本条例 東京都福祉保健局 (tokyo.lg.jp)

教育分野ではどのようにその視点を活かしていくのか、他の自治体例から学びたいと申し込みしました。

学校関係者にお任せし、その責任も学校関係者に押しつけるのではなく、地域の誰もが、子どもの安心感、幸福感のためにできることはあるのだと考えさせられた講座内容でした。
まずは、子どもの権利の重要性を大人同士で共有できることが第一です。
その土壌があった上でありますが、子どもの声を活かせる部分がどこかしらあることが、実例を聞き分かりました。
また、何をもって幸せな状態と考えるのか、いま一度考えた上で、子どもたちが社会で羽ばたくために成長段階で必要な考えや仕組みを考えることも、あわせ必要です。
後段、Q&Aの「不登校支援」の「不登校支援」にあたっての「学校にきてもらうような学校にするというのはあるが、学校が変わらないまま、その子を来させる発想はない」という考え方に納得をし、

また、「保護者からよりよい公教育のためにどう関われるか」についても、親の立ち位置でこうしたことができるのかと、
いち保護者としてやはり参考になりました。
記憶・共有したい内容でしたので、超長文ですが、以下に備忘録的な報告をします。

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【竹内教育長とは】

フリースクールスタッフ、民間企業、NPO、行政で自然保育の普及推進など経験を経て、

現在は「子どもがまんなか」の学校づくりに挑戦中。

◆フリースクールで聞いた「子どもを学校に合わせるんじゃない。学校が子どもに合わせるべき。」を原点に学校を問い続けた30年で

・学習者本位(子どもがまんなか)、多様性の尊重、自己決定の原則、安心と自由の保障

・自分と仲間の幸せを大切にできるひとづくり

を重視。

また、学校に違和感を感じる(不登校)子どもは、現代社会の危機感と、未来の可能性を気づかせてくれる存在であるとの位置づけ。

◆もうひとつ、自然保育との出会いから、幼児期の重要性に気づく。

くじら雲理事長依田敬子さんの「自然保育のめざす姿」の言葉を借りると、

遊び込む、遊び切ることで、自分を生きる力を育む。

自分らしさを大切にすることによる、自律的な生き方。

保育者は子どもたちのやりたいことを実現するために存在する。これは教師も同じ。

【池田町の教育大綱】

基本理念は、子どもにも分かりやすく覚えやすいよう「子どもがまんなか 未来を拓く ひとづくり」の一文のみ。

「子どもがまんなか」=どの子どももみんな大切、学びの主人公は子どもたち、子ども一人ひとりに寄り添える公教育。

「未来を拓く」=子どももおとなも「自分らしさ」を大切に、幸せな未来を願い続ける。

「ひとづくり」=「ありのまま」を尊重し合う、地域の子どもは地域で育てる、つながりあう。

池田町が願う子どもの姿は、

「自然保育で成功体験・失敗体験をし、子どもたちの考える時間をたくさん作る。
その後、自己決定の経験をし、達成感を持ち幸せな気持ちになり、安心感を持ち、自己肯定感、自信を育み、更なる挑戦への繋がる循環。
これを15年かけて何回もし、意欲のエネルギーを貯め続ける。」

 

池田町教育大綱 | 長野県・あづみ野・池田町 (ikedamachi.net)

基本目標は、

①信州池田町学びの郷「保小中15年プラン」の推進

町として、妊娠期から3歳までの丁寧な支援をすでにしており、保小中を通じて15歳までの学びと育ちに切れ目なく繋げる。

また、思春期よりも前に取り組みたいこととしては、教科学習よりも心の健康を優先し、自信と現実感の得られる生活環境づくりや、合意の習慣を通じた自律と社会性の育成。

信州大学医学部付属病院 子どものこころ診療部 本田秀夫先生の「子どもは自分が望んでいるいろいろなことを思いどおりにしてもらうと、やがて満ち足りて、どんどん自立していくものだ。満たされれば満たされるほど、むしろ自立は早くなる。子どもの自主性や主体性はやりたいことの中でしか育たない。」という考え方を基軸にする。

◆自然保育については、子ども主体の学びとイコールである。科学的にも6歳までに脳細胞が成人の9割ぐらいできあがり、幼児期は人生の根っこであり、一人ひとりが尊重される豊かな環境づくりが大切。
それを正当に評価することがこれからの学校教育では重要。
幼児教育から初等教育に共通する「学びの本質」を分断しない。つまり、以下を大事にする。

・子どもは幼児期からの遊びを通して暮らすこと「生きること」を学ぶ。

・「自由な遊び」が「主体的な学び」へ。

・生活や地域社会と隔絶した学びは本末転倒。

・自分で考え、判断、決定できる喜び。

→遊び込む経験が多いほうが「学びに向かう力」は高い。5つの力(協調性、がんばる力、好奇心、自己主張、自己統制)はすべて非認知能力だが、遊び込む経験が多い子どものほうが成績がよい。ベネッセホールディングス調査結果。

そして、遊びも学びも大人が管理しないほうが主体性は育まれる。

→プレーパークの先駆者天野秀昭さんの言葉を借りると、教育から「子ども主体」の遊育へ。

・遊びで育つほうが、自分が出せる。主体性や自己肯定感が高まる。

・教え育てるでは、主体は子ども以外になりやすい(子どもが受け身)。

→自分で考え、判断、決定できる環境があれば自然に育つ、子どもの力を大人が理解し信じることが、これからの教育をつくる上のまず第一歩。

◆共生社会実現のための、個別最適な環境と合理的配慮をする。

・子どもに原因を求めない(子どものせいにしない)

・できない子ではなく、できる状況になかった子(適切な環境が用意されていなかった)

・障がいや特性に応じた指導を工夫する。(頑張れ!という励ましや、下学年の学習プリントの反復学習では改善しない)

→幼児期では、もともと月齢差、個人差に応じた保育が行われている。保育・幼児教育を土台とする保小中15年プランをインクルーシブ教育の観点からもすすめる。

◆教師については、子どものとらえ方が、多面的・多角的に深まっていく。

小中の先生には、日常的に保育参観にいってもらい、幼児期の子どもたちのありのままの姿をできる限りみてもらうことで、

子どもたちがどのように自信を育むか小中の先生にも分かり、皆一斉に同じことをやらせることの無理に気づく。
池田町の先生達保証中で合同研修を年に最低3回実施。
従来は、小学校にあがるために保育園でしつけ、中学校にあがるための小学校という位置づけだが、中学校が重要ではないと先生は自覚。つまり、保育園の育ち学びが一番大事で、下からもう一度再構築することを先生が自覚。

15年プランは新しい特別なことではないが、保育士と教員の意識改革がなければ何も進まないことも自覚。

「自ら拓き、共に生きる姿」が15歳卒業で願う姿であり、
15年間で、全ての子どもによりよい人生を切り拓く基盤を確実に築くために、保小中の全教職職員が子どもの15年間の発達や学びのつながりを意識し出口である15歳の終わりまでにどのような姿に育ってほしいかの情景を思い浮かべ共有し、目の前の子どもの姿とつなげ、保育・教育実践を積み重ねる。

経産省関係研究所調査によると、幸福感を感じるには、自己決定できるかが重要。「人生の選択の自由」の低い日本社会でも、自己決定権の高い人が幸福度が高い傾向にある。
つまり、学歴やお金ではなく、自己決定による達成感や自尊心が、年齢問わず幸福感が高まることに繋がっている。

自らの学びを探求することが大事であり、例えば、以前みたNZの教育現場ではNZでは小1に「あなたは何を学びたいの?」と教師が子どもたちに毎時間必ず聞いていた。
学校教師本位から学習者(子ども)本位の学びへシフトすることが、学びの尊重と人権の尊重に繋がる。

→保育士、教師の6つのチャレンジとして、

・教える人から学びを支える人へ

・子どものエピソードを語れる・語り合う

・前例・前年度踏襲からの脱却~子どもの個に立つ~

・池田町と関わり、池田町が好きになる~発信と貢献~

・乳幼児期からの発達や学びの系統性、連続性を意識する

・保小中の教職員のつながりと協働を主体的に求める

◆教育行政のあり方としては、先生達の自主性・主体性を最大限尊重したい。

教職員一人ひとりの個性や能力の違いが尊重され、それぞれが主体的に、子ども達と共に育ちと学びの環境を創り出す。

池田町は現場第一、信頼し任せるスタンスで学校と関わる。

②池田町全体で「学び合い・育ち合い・支え合う」地域づくり

子どもが学び育つフィールドは、家庭や地域でもあり、学校だけでしか学べないという発想はそもそもない。
地域で学んでも家庭でもよいし、その子が安心して安全に学べる環境を一人ひとりに保障する。

「子どもがまんなか」とは子どもが自分らしく、安心して幸せな気持ちで過ごすことのできる毎日が保障されることで、保障するのは大人と地域社会。

そのためには、立場を超えて、保護者、教職員、町民、行政全員が自分事として、子ども自信の気持ちと願いに寄り添い、責任を果たす大人の覚悟と互いの信頼関係が不可欠。

◆コロナを経験したのち、特に学校の自治を進める重要性を実感。

小学校に入学した途端、学校にお任せで、保護者、地域住民が子どもの育ちと学びに関われない状況が見受けられるが、行政は、保護者、地域住民が声を上げやすい環境を作り、学校教育を、保護者、教師、地域に返す。

当事者性の喚起が、保護者、教師、地域住民による「学校を創る自由」へとつながる(人権尊重、民主主義)。

→中央集権的教育制度の地方分権化を強力に進め、

地域性、当事者性の高い学校教育の実現が、子どもの「生きる力」を育み、地域の未来を拓拓く。子どもに一番近いところの考え方が尊重されるべき。

→人々の価値観や生活スタイルはさらに多様化し、自然保育、オルタナティブ教育が広がり、学校教育(公教育)も多様化。

・子ども、教師、保護者など「学びの当事者」が望む子育て、保育、教育を実現するための環境づくりを担うべきで、やらせる・与えるから創造を支援する行政へ。

・管理、監督、指導から、支援するプラットフォームへ役割転換すべき。持続可能な仕組みづくりが不可欠。

目指すはwell-beingで幸せに生きること。一人ひとりが心身の潜在能力を発揮し、人生の意義を感じ、周囲の人との関係のなかでいきいきと活動している状態。

海外では当然のように、その子が将来幸せな人生を生きるためというゴールが共有できており、いい高校、大学に進学するための中学や高校は時代遅れ。

また、変化できる教育現場と行政であるべき。去年と同じことをする行政であってはいけない。例えば、コロナで去年と同じことができないことに直面しているが、ピンチをチャンスに変えることが我々に与えられたチャンス。

これまでと同じが通用しない社会生活や学校教育であり、思考停止せず、教師、子ども、保護者、地域住民、みんなで考え、判断し、決断して進むしかない。枠組みや既成概念にとらわれずに柔軟な発想で試行錯誤しながらもまずはやってみる。

→子どもがまんなかを意識したひとづくりが地域の未来を拓く。実現するためには立場を超えた対話と共感が不可欠であり、

池田町では子どもがまんなか教育大綱町民懇談会を重ねる。

※動画配信もなされているようで、以下の情報提供もなされていました。

(1) 令和3年度池田町総合教育会議 – YouTube

(1) 『未来を創る教育をカタチに』教育長・校長リレー #004 Part1 長野県池田町教育長校長対談 竹内延彦さん&秋山昇さん – YouTube

③生涯にわたる学びと健康な人生を楽しめる環境づくり

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最後に、先生のプレゼンテーションより、

◆不登校のとらえ方
・子どもが学校に来るか来ないかを問題とするのではなく、子どもが安心安全に過ごせて学べる環境として、子ども自身に選択される学校であるか否かを意識する。
・子どもが学びたいことを存分に学べる環境であるか否かは、本来全ての子ども達に必要不可欠な要素。

◆新型コロナウイルスへの対応は「踏み絵」
・子どもたちと共に考え行動できる学校か、前例踏襲から脱却できず「思考停止」してしまった学校か。
・学校でなければ学べない、という考えに囚われない、子どもたちの多様な学びの環境づくり。(学校を相対化)
・不安な状況にこそ主体的な情報共有を進め、学びの質向上のために学校の学びの見える化が重要。

◆子どもがまんなか
・子ども自身が、自分たちは周囲の大人や社会から尊重されている、大切にされていると実感できなければ意味がない。
・子ども一人ひとりの人権を最大限尊重する「大人の決意表明」であり、これからの学校教育が共有すべきビジョン。
・全ての大人が子どもの育ちと学びの当事者であることを自覚し、子どもの学びについて他人任せにせず、自分事として考え行動する。

また、日本の学校教育においては、向かうべき方向性が大事。
池田町では同じ方向を向きつつある安心感が保護者などに伝わることは期待している。
これが池田町のよい特徴になると、人や先生が替わっても、池田町の子どもたちが安心できる15年を実現できること願いながらこれからも努力したいし、これはどの自治体でもできること。
想いをもった方々が必ずいるので、お互い繋がり声にだしていく。子どもに一番近い学校やそれを支援する教育委員会が変わらないと日本教育全体が変わらない。国レベルで法律を変える運動も大事だが、一番子どもに近いところでいろんなアクションを同時多発的におこすことが結果としては早いのではないか。

以上、命をかけて学校へいく子どもたちに安心して過ごせる環境整備が大事とのお話でした。

 

*****Q&A*****

【教育大綱について】

学校、地域、保護者とじっくり意見交換し、行政単独でつくっていないことが特徴。
また、子どものための教育大綱をつくりたいとあったので、子どもたちの意見を反映しないのはありえないことは、教育委員と共有していた。小中学校で1時間時間をもらい、教育長が子どもたちと直接対話。そのとき子どもが言いたいことを自由に気軽にいえる学校にしないといけないとも実感した。

「子どもがまんなかってどう思う」と聞いたら、「子どもが真ん中になっていない」と。自分が大事にされていない。伝えても答える大人が少なかったりのネガティブな経験が多く、言ってもしょうがないとのあきらめもある。学校でも抑圧されている風にどこかで感じているとも思った。まず、子どもたちの率直な意見を聞いた。

【評価について】
子どもが真ん中の学校教育にするなら、今までの評価の仕組みでの対応は難しい。子ども自身が人と比較をする風潮が非常に強いが、例えば、麹町中のはなしを聞くと、子ども同志が比較をしなくなったとのこと。
教師が子どもを評価し比較し優劣つけるのはもちろんだが、子ども自身が比較されることに慣れ、自己評価を下げる傾向が強いのと思われる。評価は極めて一面的であり、評価のありかたそのものを問い直すことを同時にしないと難しい。

現在は、通知表をだし、学習指導要領にのっとって成績をつけている。ただ、意識として、子どもを単純比較しないことは先生たちがだいぶ自覚している。授業のやり方、組み立て方は教育委員会がうるさくいわず、校長にリードしてもらい信頼し任せているが、教科書を学ばないといけないという意識の先生はだいぶ減っている。

【先生の意識について】

・コロナで先生の意識が変わったこともはっきりしている。去年授業の時間とれず、行事はゼロベースでリセットし、何ができるか、何をこどもたちがやりたいと思っているか、いちから組み立てなおす。
そのとき、先生だけで考えて決めることはやめ、保育園であっても運動会で子どもたちに種目は何をしたいかなど一緒にいちからつくった。
こうしたことを、保小中いずれも経験してもらったが、子どもがいきいきとし満足度が違うことを先生たちは認識したはずである。

・まず最初の3年は、意識を同じにすることに注力。
先生によって温度差や経験の違いがあるが、すすむべき方向は共有できているので、これから評価のありかたや授業のありかたも見える形で変わっていくのではという期待はある。

・保小中の合同研修を定期的にし、子どもたちそれぞれの状態や学びについて想いや状況を共有しあう。日々の交流も進み、例えば保育園が小学校を必ずお散歩コースにいれる。予約はしなくても、自由に学校探検をしていいというルールになっており、保育園児がのぞいたり教室にはいってもうるさいことをいう先生はいない。異年齢での学びあい、気付き合いを自然に共有できている。

子どもたちの姿をまずしっかり理解し、子どもたち自身が楽しそうにいきいきしている状況を、大人同士がまのあたりにしていくことが実際の意識や行動を変えていくひとつの大きなきっかけになると感じている。

校長教頭とは密に連絡をとり、子どもがまんなかとは伝えている。

【前例踏襲について】

前例踏襲で一番問題なのは行事。子どもがそれを本当に求めているのかという思考が必要である。一度計画にいれるとなかなかやめようという議論にならずどんどん増えていくことが学校の多忙化に繋がる。今年の子どもにとって必要なことは何かと考え、必要ないものはやめる勇気を持つことは、先生にはしっかりお願いしている。

必要なことがあれば、そこは仕組みにしていく。

【家庭の理解について】

親に子ども中心を理解してもらうことは、大きな課題。

行政は家庭にずかずか踏み込めないが、理解し協力してもらわないと、子どもが24時間安心して過ごせないこともある。福祉と連携しての親支援もずっとやってきている。
子どもが真ん中の理念が先生方にはだいぶ伝わってきているが、親の関心がまだ高くない。池田町の学校教育にさほど不満がないのかもしれないが、不満あるなし関わらず、子どもが学校で過ごしているか育っているか、親として自分ごととして関心をもってほしいと発信はしている。
町民懇談会は定期開催し、YOUTUBEで配信。HPもリニューアルし、学校や保育園の日々の様子を情報発信。
しっかり教育を見える化することが、親の理解や協力に伝わると思っており、そこに力をいれているが、課題は大きい。

【適正規模について】

人数が少ないことが丁寧なフォローに関係している。

学校の規模の問題で、人数が少なくなったら統合などあるが、これからはスモールサイズの学校教育がいろいろな意味でプラスになると考える。池田町では、小学校平均200人前後の生徒数。一人ひとりのこどもや保護者に丁寧な対応をするにはこれ以上増えると厳しい。

【不登校について】

・不登校の子は増えていないが、横ばい。

もともと割合的に多いが、その背景には、学校に無理やりこさせない風土がある。
その代わり、一人ひとりの子どもや家庭とちゃんとコミュニケーションとってほしいとお願いしている。
学校にくるこないはたいした問題ではなく、学校にこさせるのがゴールではない(学校にきてもらうような学校にするというのはあるが、学校が変わらないまま、その子を来させる発想はない)。
その子にとってどのような環境やステップが必要かその子目線で考えることを意識する

・最近の変化としては、中学校で不登校のお子さんが教室と違うところで過ごす学習相談室という空間にお
いて、去年から新しい先生がICTを使いSDGsなど独自の学びを提供。そうしたところ、隣の小学校の不登校気味の子たちがそこへいくことを希望、小学生が中学生に通うことになった。中学のなかで小学生が一緒に学び、中学校に喜んできている光景みられるが、これは小中の校長同士がはなしをし、その子が中学校で学びたいことがあるなら認めようと学校長が認めた結果である。現在は試験的なトライアルだが、教育委員会として中間教室と位置づけ小学生中学生一緒に学べる居場所をつくろうと計画をスタートしたところ。

図書館へいくことも認め、出席扱い。
要は、その子がどこでどういう学びをしているか把握していることが大事であり、学校にくるからその子を理解するのではなく、学校にきてもこなくてもその子を理解しないといけない。
学校にいないときその子は何をしているか学校は関心をもちその子のフォローをしてもらわないと困る。
どこにいようが、その子がどう過ごしているか把握することで出席として扱うことを問題ないと考えている。

・家にいる場合は、家で何をしているか把握はするが、基本欠席。
ホームスクールについては教育委員会、学校としてまだ明確に対応を決めていないが、小学生が中学校にいったり、図書館にいったり、家以外の場所でその子なりに学ぶことは
できる限り出席にするスタンス。

ただし、ICTを利用した場合は、家庭でも出席扱い。コロナ不安で学校にいきたくない子はいるので、そういう子も当然出席。授業もオンラインで配信し、双方向やりとりもだいぶ進んできた。

【子どもへの支援について】

毎月定例で校長園長会がある。教育委員会もはいり、保育園小中学校について全員で共有する場であり、例えば、ある小学校で困り毎があると、クラスだけで悩むのではなく、その子をどうするか教育委員会、保育園、中学校皆で考える。
小さい町で、小中の距離が近いからこそできることでもある。

【保護者としてどう公教育を変えるか】

長野県で起こっていることでいうと、映画「Most Likely to Succeed」を
Most Likely to Succeed の作品紹介と自主上映会の様子 — Future Edu Tokyo

県内各地で地域の保護者や学校の先生が自分たちのグループをつくり上映会をするようになった。
教育長もそうした場へゆき、コメンテーターとして説明することを何度もしている。
一人だと難しいが、例えば上映会というきかっけにグループをつくり、地域で発信をし、地元の校長や教育長にきてもらうことはできるのではないか。地元の学校や教育委員会と邂逅をひろげていくことが大事である。そういうところで繋がりをつくっていかないと共通理解が進まない。
まずは保護者やいち先生の立場で地元の学校を変えたい思いがあれば、一人ではアイディアがなくとも、数人で集まれば具体的イベントや勉強会なりでき、どう発信をし、しかるべき人に伝えるかの発展となる。

アクションをしないと周りには伝わらない。どういう形であれ発信をすることが大事であり、いまは個人で発信しやすくなっている。
例えば、池田町はコロナもあり、授業参観が減った分、保護者が有志でグループを組み、校長と懇談したいなど申し入れをし、個別の意見交換は結構する方々もいる。

・どの自治体も、教育大綱もしくは教育基本計画を概ね3年~5年ごと更新するので、そのときパブリックコメントで意見をいう。また委員会・審議会の公募委員に手をあげ、公的に意見をいい、そこで想いを伝えるやり方もある。

教育委員会の定例会などいろいろな会議は殆ど公開で傍聴ができるので、そこで情報収集をする。
また個別にいろんなルートをつかい発信したり、要望を伝えることもできる。

【先生としてどう公教育を変えるか】

先生については、校長や副校長に理解があればよいが難しい場合、他のところと繋がっていくことが大事ではないか。
例えば、池田町で勉強会をすると他の自治体の公立学校の先生が参加する。同じ実践を自分の学校でするのは簡単ではないが、そうした場に足を運ぶことでの安心感やお互いアイディアをもらったりのコミュニケーションがとれる。