多様性、自己肯定感について:ICU高校元校長桑ヶ谷森男先生の座談会に参加しました

母校であるICU高校の元校長、桑ヶ谷森男先生が昭島にお住まいで
多様性や、自己肯定感に基軸をおいた座談会に参加。

(※ICU高校や桑ヶ谷先生のお考えが分かりやすいインタビューはこちら
https://www.icu-h.ed.jp/30th/interview/vol02.html  )

ICU高校の生徒構成は、海外からの帰国生が3分の2、
日本で過ごしてきた一般生は3分の1の割合。

1学年約35カ国程度(3学年でみると50カ国程度)の異なったバックグラウンドを持つ友人たちといると
これが正解というものはなく
ひとつの投げかけに対して様々な反応があり、
でもその反応はどれもみな自然に受け止めてもらえる(みなの生活背景があまり多様すぎて受け止めざるをえない)環境でした。

いろんな文化がミックスしており、「違いから浮く」ということがなく
「違うのが当たり前でそこからつくりあげていく」ICU高校の文化。
飾らず自然体でいれて居心地良かったのですが、
その裏では先生方の大変なご努力があったことを今になって知ることができました。

子ども、大人、教師、生徒、保護者
いろいろな立ち位置は実は重要ではなく
何か問題が生じれば、その解決のために関係者がいかに協働できるか。

また、対人関係においては
何かしらの権力を盾にしたり
自分が絶対と思わずに、
自分に客観的なまなざしをむけつつ他者と関わり
ともに成長していく努力をする必要があることを
おはなしを通じて理解しました。

以下は、先生のお言葉の備忘録です。

◆まず、何を教えるかの前に、生徒の学力把握だけではなく、一人ひとりのこれまでの歩みから理解する必要がある。
入試にあたって、これまでどのような努力をし向上したか、生徒一人ひとりの過去数年分のレポート分析をする(アメリカ、中国、ドイツ、中東など様々な国のレポートもみせて頂きました)。

どの子も固有の資質や能力を持っており、長所を伸ばせば短所は自分で克服できる。
また、高校は成長の一つの通過期間であり、長い目で成長をみる。

教師は、生徒をいかに導くかと考えがちであるが、
海外で学んできた子どもたちの価値観を知り、日本の教師の考え方を相対化し、双方向に話し合い向き合わないと子どもに対する説得力がない。
ICU高校のみではなく、一般的な教育においても同様である(そのためにも、小人数教育が望ましい)。

◆自己肯定感については、
家庭等で無条件に大切にされる体験からはじまり、
幼保などの集団生活、学校、地域、職場等でほめられ評価されたり、人との関係のなかで育っていく。
あるいは、宗教、思想、理想等を通じて、救いや許しを体験したとき、理想に向かう自分の生き方にに自己肯定感を持つこともある。

感動体験も重要。何に感動するかは人によって違うが、芸術や自然体験などの感動体験、自分が夢中になるものも自己肯定感に繋がる。

もうひとつは態度価値。困難な環境でも自分がどのような態度をとるかという態度価値。
(友達5人程度で長所発見ゲームなどすることもよいのではないか。)

どのような仕事がありどのように支え合って社会がなりたつのか。どういう人になりたいのか将来の自画像を描けるようにする必要がある。
そのときに先生があなたのこういうところがいいと励まし、一人ひとりをみて納得できる褒められ方でないと説得力がない。

また、子どものときは一時的な肯定感であり、自分の人格に入っていくには自分自身の自覚的な努力が必要。
多様な自己肯定感や自己有用感があり、質についても考える必要がある。
自分だけよければよいというとんでもない肯定感もあるが、第三者など誰からみても納得できる肯定感であることも必要。

最後に、どういうことで自分を肯定していけばよいかは生涯かけての課題で、大人になってからもずっと育てていくもの。
小さいときから自己肯定感とはっきり思ったことはなく、落ち込んだり喜んだりのプロセスであった。
大人自身も、自己肯定感や自己有用感をふりかえり子ども時代を思い起こしながら、子どもと対することが大切。

◆質問タイムでは、
・とにかく子どもたちには
未来に展望があるんだということを知ってもらいたい。
世の中のことでいえば、日々飛び込んでくる情報は子どもたちもみており、人間を大切にする政策がおこなわれる必要がある。そのなかで自分たちの展望がひらく。

・試験だけが学力ではなく、ダイナミックな学力観を学校も大人も社会も持たないといけない。

どんな大学をでたかが最終目標ではなく、長い目でみたとき学校を出ていようと出ていまいと、素晴らしい人は素晴らしいことをしている。そういう視点を、親も社会ももつべき。

聴く力も大切である。
それらも踏まえ、人間の持つ能力や学力はどんなものなのか。

何をもって幸福と考えるかの幸福感を点検する必要がある。

改めて、自己肯定感について大人自身が問い直し、人と共にいきる学力について考え直す。

・教師が教育の自由をもっているか。
自らの発言に行政からチェックはいるか、親たちがどのように教師に対しているか。まず信頼関係があるか。

教師が自分の個人的な考えを表現するために、どのような学校環境になっているかがひとつ問題。個々の教師の問題かあるいは、教育体制や学校の問題か。

正しいことの前では、生徒と教師も対等である。父母と教師も同じ。

そういう点で、相手と自分との関係が対等で、なにが問題解決のために一番よいかについて、教師だから親だからその考えを通さないといけないのではなく、生徒が主人公で、生徒についてともに考え確認する関係を、努力してつくっていかないといけない。

個々の教師の問題があるとしたら、その教師の問題について、仲間である教師同士がチェックしあい、お互いに協力しあえる関係ができているか。教師集団の成熟もひとつある。

教師は自尊心が高いが、生徒のために何をするかという教師像を仲間でつくっていかねばならず、それをしないと根本的には解決しない。